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まさに演劇版〝ニュー・シネマパラダイス〟だった『恋に落ちたシェイクスピア』

恋に落ちたシェイクスピア ポスター

演劇好きなら、まさに『ニュー・シネマパラダイス』の演劇版と感じた人も多いのではないだろうか。

なにしろ演劇的ノスタルジー満載なのである。

恋落ちシェイクスピア ポスター

出典 https://www.imdb.com/title/tt0138097/

まずは、シェイクスピアのキホン的知識として、イギリス演劇界における〝エリザベス朝演劇〟代表的劇作家というくらいはご存知かもしんない。

その全盛期は1600年代で、400年すぎても未だ世界中で上演され続け、いわゆる〝シェイクスピアブーム〟は忘れた頃に必ず日本でもやってくるし、いまも週末のどこかで上演されていることだろう。

世界ではじめて演劇をエンタテイメントに高めたのは〝日本の歌舞伎〟だと思うけど、それはそれ。

世界的ロングセラー戯曲家といえば、シェイクスピアなのだ。

演劇人が語るシェイクスピアの魅力とは

それでは、なぜに演劇人はシェイクスピアを演り続けているのか。
一度はやってみたくなるのか。

これはいろんな演劇人に質問してきたけど。

なんでも「好きなように料理できるから」だという。
古典劇として演ってもいいし、独自の注釈で現代劇にもできる。

例えば、世界のニナガワ(蜷川幸雄)は〝日本の時代劇〟にしちゃってますよね。

ここで、脚本家・山田太一さんの言葉を引用すると分かりやすい。

なんでもシェイクピアがすごいのは、どんな戯曲を読んでもシェイクスピアがどんな人物だったのかまったく分からないことなんだという。

フツウは作品を読めば、だいたいその作家の価値観や考え方が分かるようなもんなんだけど、それが全然分からないという。

それほどシェイクスピアは柔軟な頭を持っていたというわけだ。

ひとつの考え方にとらわれると、人はそれ以外の考え方に対する理解力を急激に失っていく。

そういう意味で、シェイクスピアはひとつの考え方にとらわれることなく、多角的に人間を捉えていたのだろう。

作家たるものそうあるべきだとは、山田太一さんの言葉。

これ語り出すとキリがないので、これまで。

当時の〝演劇〟を感じられる数少ない映画

映画『恋におちたシェイクスピア』も、実に柔軟な発想で構築された恋愛物語だった。

とはいえ、当時の演劇と、現代の〝演劇〟ではセリフの技術にしても舞台美術にしてもいろいろと違う。

例えば、当時は野外劇場だったため、照明もない。
ゆえに「いまは夜です」という説明セリフが当たり前にあった。

演出についても舞台装置もないから〝しょぼい〟のである。

にもかかわらず、人々は舞台に引き込まれてしまうのだ。

舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件に聞き入っていると、不思議なことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが自分たちの日常の生活より真実に近いのではないかと思えてくるのです。みんなは、このもうひとつの現実に耳を傾けることを、こよなく愛していました。

これは『ネバー・エンディング・ストーリー』でおなじみミヒャエル・エンデの『モモ』(これも映画化されてます)からの抜粋。
まさに、この言葉がピッタリで、当時の観客の気持ちも描かれていたと思う。

自分も何度か思わず拍手しちゃった。

歌舞伎と反対、舞台に〝女性〟が立ってはいけないという常識

映画では「女性が舞台に立ってはいけない」という規制があったことも語られていましたね。

海外の経緯は詳しくないんだけど、無声映画時代のアメリカ映画でも、女装した男性が出演するのが当たり前でした。

ある意味では、日本の歌舞伎とは反対なのだ。

歌舞伎の元祖は、最近ミュージカルでも紹介された〝出雲の阿国〟である。

もともと歌舞伎ってのは、おねーちゃんが色気を振りまく危ない芝居だったんですな。
しかもドンドン過激になっていった(最後はBLみたいな感じ)。

だから江戸時代の頃は〝歌舞伎〟ではなく〝歌舞妓〟と書かれていたわけだし、まんま〝女〟の舞台だったわけ。

記録によると、オカマさんも出ていたようで、だからこそ幕府による風紀的な規制を受け〝男〟しか出演できなくなった。

とにかく現在の歌舞伎からは想像もできないけど、当時はサブカルチャーそのまんまだったんだろう。

歌謡ショーありの見せ物一大エンターテイメント

なのに、現代の歌舞伎が偉そうに〝伝統芸〟ぶっているのは、妙な感じ。

同時レンタルのオススメは『リチャードを探して』

ちなみに、この映画といっしょに観たいは、アル・パチーノの初監督作品アレック・ボールドウィン、ウィノナ・ライダー出演の『リチャードを探して』(1996年)。

ズバリ直球の『ロミオとジュリエット』もありですが、『リチャード三世』の映像化についてのドタバタのなか〝シェイクスピア〟の魅力を感じられるかも。

また、映画『リチャードを探して』とほぼ同じノリで楽しめる舞台が、1999年春上演されたばかり、鴨下信一演出、白石加代子、池畑慎之介出演の『8人で探すリア王』サンシャイン劇場ほか)だ。

これもシェイクスピアがどんな風にも料理できることの証しだろう。

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